相次ぐ地震や水害により私たちの防災への意識は高まってきているでしょうか?
今年元旦に発生した石川能登地震。今なお安否不明の方、寒い中避難生活を強いられている方を思うと胸が痛みます。私自身、東日本大震災で避難生活を経験しました。
当時は、防災意識がなくいざ避難!となったときに何を持っていくべきだろうと悩んだ記憶があります。
今回の石川能登地震から私の実体験も交えていま一度防災について考えてみようと思います。
わからない、どうしたらいい?の連続だった避難生活
東日本大震災が発生した日、私は会社の用で出かけて帰る途中の車内にいました。
あれだけ大きな地震だったのに、運転中ってはじめは気づかないんです!
周りの電柱に違和感を感じて速度をゆるめたら、その電柱が倒れるんじゃないかというほどの
揺れに一気に恐怖が押しよせ、ハンドルを必死に握りしめていました。
揺れが収まって私の頭に浮かんだことは
(今日って何日だっけ?…3月11日。これからこの日にちが忘れられないものになる)でした。
会社に戻ると、事務所内はパソコンは倒れ、書棚のファイルが散乱状態。
その日は金曜日だったので(来週は片づけからだなぁ)ぐらいに思っていました。
しかし、土日で事態は一転。思わぬことで避難生活をはじめることになったのです。
それが福島第一原発の事故。
幸いなことに私の自宅は物が倒れたぐらいで建物の被害、停電、断水もガスが止まることもありませんでした。しかし、周りで避難する方が出はじめ私たちも避難を考えたものの、「どこに?」と迷っていました。そこに役場の方が来て「避難してください!とにかく南に逃げてください!行くところがないようでしたら役場の本部が○○町の体育館に移るので一緒に来てください。」と言われました。この時私が一緒に暮らしていた家族は母と祖父母。それから近所に住む叔母も一緒に行動することになりました。私ははここから合わせて4ヶ所に避難することになります。
寒さが過酷だった体育館避難
私たちは言われた通り、○○町の体育館へ避難することにしました。
その時に私たちが持ち出したものは
- 現金
- 数日分の着替え、タオル、歯磨きセット
- 長座布団、毛布5枚
このぐらいで本当に数日で帰れるだろうという感覚でした。ちなみこの時の私の服装はインナーに薄手のダウン、その上に内側がボアのモッズコートにジーンズでした。体育館にはストーブが数個ありましたが、全体が温かくなるわけはなくとにかく寒かった記憶があります。
初日の夜は長座布団にコートを着たままフードもかぶり、持ってきた毛布を掛けて寝ましたが
それだけでは寒すぎて、体育館隅に貸し出し毛布が山のようにあったので3枚くらい借りて寒さを
しのぎました。この体育館には4泊ほどしたのですが、4日目になると外に出てもう一度戻った際に人の体臭のにおいが気になりだしました。なんせ全員お風呂に入っていないので仕方ありません。
3月のまだ肌寒い時期でしたが、これが真夏だったらと考えたら体調を悪くされる方もいたかもしれません。また、体育館避難中の食事はコンビニおにぎりや菓子パンにお茶、水が支給されました。おにぎりが寒さでカチカチ状態でストーブの熱でどうにか温めていたことを覚えています。
近くにスーパーがあったので足りない時は買いに行けたので食事面には困りませんでした。
一度、食パンが支給されたのですが1人1斤渡されたのには驚きました。
そして徐々にすぐには帰れないという空気が流れ始めていた時、祖父母が持病の薬を2日分しか持参していないことが発覚!当時おくすり手帳もなかったので薬のメモをとり近くの病院を探して処方してもらいました。
持病がある方はその時持っている薬全部とおくすり手帳、保険証を持参すること必須です!
その後、私たちは新潟の避難所に移ることになります。
感謝しかなかった大広間生活
そこは交流センターのようなところで畳の大広間に20世帯ほどが避難していました。
この時点で祖父母は集団の避難生活が厳しいということで関東圏の親戚のお宅にお世話になることにしました。各家族の間に仕切りのようなものはなく、本当に知らない人がすぐ隣で寝ている状況。
ここでありがたかったのが、お風呂です!同じフロアに大浴場があったのでとても助かりました。
食事はお弁当が主でした。洗濯は近くにコインランドリーがあったのでそこで済ませていました。
この時点で持参して良かったと思ったのが、長座布団!足は出てしまうけど、すぐにたためて場所も取らないので良かったと思います。ただ私の母は徐々に背中が痛くなり辛そうでした。他の方の中には普通に布団一式を持ってきている方もいました。ここでは他に施設のご厚意でイベントやショッピングモールに連れて行って頂いたりと感謝感謝の日々でした。
その代わりとは言えませんが、避難者同士で当番制でトイレ掃除や大広間の掃除をしていました。
この避難所には1ヶ月半ほど滞在し、町指定の避難所に空きが出たと連絡を受け再び県内の避難所へ移動します。
より快適になった旅館での避難生活
次の避難所は旅館の個室でした。この時点で祖父母を呼び戻し再び一緒に避難することになりました。新潟の避難所から旅館まで車で約5時間。無事に着いた安心感からなのかこの時私の腕に異変が…。はじめは筋肉痛かなと思っていましたが、次第に激痛になり近くの整形外科へ行くと、
「筋肉の間に石灰がたまっている」とのこと。薬で徐々になくす方法もありましたが私は痛みに耐えられないと思い、注射器で抜いてもらうことにしました。すると、今までの痛みはどこへやら、すっかり楽になりました。先生曰く、ストレスでなりやすいとのこと。ずっと緊張が続いていたからかもしれません。
個室は和室の8畳間くらいにトイレがついたものでした。
旅館なのでお風呂、洗濯には困らず、食事は3食とも時間と場所が指定されていました。
家族はここでおよそ3ヶ月ほど過ごし、その後避難解除になり自宅に戻りました。
私は会社の別工場での勤務のため、ここからまた別の避難所に移ります。
ついに1人で避難!?団地での避難生活
そこは関東圏で会社の最寄りの団地の一室でした。建物は古かったですが、2DKもあり一人で住むには十分でした。
日本赤十字社より家電一式(冷蔵庫、洗濯機、レンジ等)が支給されました。
団地から会社まではそんなに距離がなかったので、会社から自転車を借りての通勤。
普段、自転車には乗らないので、人が多い場所ではプルプルしながら運転していました。
ここでは2ヶ月ほどお世話になり、その後私も自宅に戻りました。
あれから十数年…現在の防災対策
私は地震のあった年に結婚し、数回の転居を経て今に至ります。
現在の私の防災意識はというと、地震前よりは上がったとは言えまだまだ完璧とは言えないと思います。ですが、今現在私がしている防災対策をご紹介します。
マイホームの立地、構造を考慮した
我が家は2020年にマイホームを建てました。
その際に、立地は海から離れている、海抜が十分にある、近くに崖がないという面に考慮しました。
やはり海が近いと津波が心配です。以前は海沿いの家に憧れもありましたが地震を経験した今は全く考えられません。高台というのも津波はもちろん、近ごろ相次ぐ大雨等の水害にも考慮してのことでした。構造はオプションで耐震等級3※を取得しました。
※耐震等級とは地震に対する建物の強さ(耐震性)を表す指標で耐震等級1は最低限の耐震性、耐震等級2は1に比べて1.25倍の地震力に対抗。耐震等級3は1に比べて1.5倍の地震力に対抗でき、大震災レベルの地震でも耐えられるとされる
我が家のハウスメーカーでは耐震等級2が標準で耐震等級3にするには料金が発生して金額は30万円ほどだったと思います。これからマイホームをお考えの方は参考にしていただければと思います。
ストック品を併用して管理する
いざ防災用品をそろえようと思っても何からはじめれば良いか分からないものです。
それに備蓄品の管理ってどうしても億劫になってしまいます。
そこで考えたのがストック品を備蓄品と併用して管理すること。
ごはんが足りない、炊き忘れたときのためのパックごはん。
簡単に済ませたいときのインスタントラーメンやうどんやそばの乾麺。
これらは日ごろの助けにもなりますし、備蓄用としても役立ちます。
これから準備したい防災用品
今回の地震を受けて、改めて防災について考えたときやはり防災リュックはあった方がいいのかなと思いました。
こちらはカラーが豊富なので人別に色分けして使うのもいいかもしれません。
それから、以前より気になっているこちら。
やはり収納面がネックなヘルメットは折りたためるものがいいかなと思います。
そして、断水時に1番困るであろうトイレ用品。
自宅避難やトイレがある場所にはこうした消臭袋でまかなえそうです。
車避難やトイレ自体がないところでは折りたたみ出来るトイレも併せて準備しておくと安心です。
この間、100均の折りたたみイスの座面に穴を開けてそこに袋をセットして使用するというのも見ました。
専用のものでなくとも工夫次第でいろいろ代用出来そうですね。
まとめ
当時の私の避難は地震でというより原発の影響によるものなので少し特殊かもしれませんが、その時はとにかく必死でこれからどうする?どうなる?ばかりでとても不安でした。
一つ言えることは、どこの避難先もとても温かく迎え入れて下さりただただ感謝しかないということ。新潟の避難所では「新潟の地震の際に福島にはすごく助けられた。今度はこちらが助ける番です。」とおっしゃっていたことが忘れられません。
いつ起こるか分からない天災。私が体験した避難生活もほんの一例に過ぎず、その時の環境や状況により準備することや動き方は変わってくると思います。
定期的に我が家だったらどうかな、今だったら何が必要かなど点検することがやはり大事ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。